どうもkyoumixです(/・ω・)/
先週はわたくしのバースデーでやんした!
今年は十の位が増えた☆(^ω^ ≡ ^ω^)ツイニキタ
贅沢ディナー食べたの自慢させて(^ω^ ≡ ^ω^)オラオラオラ
チーズフォンデュとロブスターが特に美味しかった!
ありがとう夫くん!(これからも一緒に節約頑張ろうね!)
当日の朝はESOLもあって、
クラスでもお祝いしてもらいました(^ω^ ≡ ^ω^)
なんとハッピーな幕開け…
今年もいい年になるといいな〜〜〜
あなたにとっての「もしもの世界」は?
さて、今回は反実仮想をテーマに、
「留学帯同で失ったもの、留学帯同でしか得られなかったもの」
について書きたいと思います(/・ω・)/
きっかけはこないだの夫くんとの会話↓
「今日さーお世話になってるfaculty(教員)に聞かれたんだけど
(日本でだってPhDは取れるのに)どうしてわざわざアメリカにPhD取りに来たのー?って。
そんで俺が経緯を説明したら、
"君にとってのcounterfactualはなんだったんだい?"
ってさらに聞かれてー…(以下略」
counterfactualっていうのはつまり「反実仮想」のことで、
「もしあの時別の選択をしていたら、いまはこうだっただろう」っていう、
「もしもの世界線」のこと。
確かに彼にとって留学する/しないは大きな決断だったし
日本に残ってたら得られなかったものや、
逆に失ったチャンスもあるかもしれない。
私にとっても、留学に帯同する/しないはひとつのターニングポイントでした。
とりあえず渡米から約2年経ってみて、
・日本に残っていた場合の今
・アメリカに来る選択をした今
を比べて、
留学帯同したから失ったものと、
逆に帯同しなければ得られなかったものについて整理してみようと思います(/・ω・)/
日本に残っていた場合の今
・たぶん、8年目のサラリーマン。
・夫が留学していなければ、彼を引き続き扶養に入れながら仕事を頑張る日々。
・夫が留学していれば、たぶん実家から仕事に通う日々。
・やや残業多め。
アメリカに来る選択をした今
・まさに今の自分。専業主婦。
・ブログとか英語の勉強とか車の運転とか。
・ESOLの学生。
留学帯同で失ったもの
・3年半分の業務経験と収入
留学帯同期間の3年半(ひょっとしたら延長して4年半)分、
まるっと働けないので
その間の収入はゼロ。
働き続けた同期と比べて
生涯年収に少し差はついただろうなとは思います。
日本の友人や同期たち、ぼちぼちマイホームゲットしてるもんね…( ˘ω˘ )
あともしかしたら、この2年の間で運がよければ
昇進もしてたかも。同期が何人か上がっているので。
それでも自分はまだな気もするけど。
この2年の間でさらに別の部署に移動して仕事の幅を広げてたかもしれないし、
商品企画をバズらせて企画者としてインタビューに答えてたかもかも。
ただ、今後のキャリアにおいて絶対的に何かを失ったわけではないというか…
会社を辞めた直後は、仕事ができないことが悔しくて
ワーン(^ω^ ≡ ^ω^)ってなった期間もあったけど
この3年半(4年半)、決して無駄ではないというか。
それなりにいいポジションで再就職できる可能性だってゼロじゃないし。
うーん、なんとも言えない。
夫の卒業先の進路も日本とは限らないので
不確定要素が多すぎるんですよね…見通しが(´・ω・`)
だから楽観的に捉えるようにしてます。
ただ少なくとも帯同期間中の業務経験と収入は
戻ってこない反実仮想の自分だけのもの…( ˘ω˘ )
・QOL
日本に残ってた方が間違いなくQOLは高かった(´・ω・`)
それは収入の面で、今よりももっと暮らしに投資できたというのもあるし
そもそも日本という国のQOLがデフォルトで高いから。
日本のご飯の安さと安全性とおいしさは異常だよ…
アメリカに来て、アパートの古さにびっくり。
立て付けの悪さにびっくり。
安いアパートでは、
ねずみもGも隙間風も当たり前…
今日、我々は新しい電子レンジを注文しました。
いつのまにかGの住処になっていたからです(英訳しやすい文章)
日本に残っていたら、
無理のない家賃で(ここが重要)そんな心配からは解放されていたし、
もらいものの家具の寄せ集めではなく、
きちんと選びにいった家具を置いていただろうし。
いまは必要最低限+α(心を病まない程度の楽しみ)ができる程度なので
逆に言えば生活そのものを見直せるチャンスをいただけたと言えばその通りなんだけど
やっぱり、日本での生活はいいなぁ〜
無理のない生活をしたいなぁ〜(いつかはするぞ〜〜!)
って思うことが多いです(´・ω・`)
楽しいけどね(´・ω・`)
・実家の家族との時間
これは全ての海外在住者に当てはまることだと思うのだけど、
家族や親戚になにかあったときに
すぐに駆けつけられない、という
海外生活ならではの弱みがありますよね。
両親のサポートを兄弟にお願いしないといけない、とか。
わたしの場合、両親は元気だけども、
定期的な通院と治療が必要なので、やっぱり心配です。
そんな条件の中、
快く送り出してくれた両親(無理に戻ってこいとも言わない)には本当に感謝しているけど、
同時に申し訳ない思いもあるし、
ときどき様子を見に行ってくれている兄弟にも申し訳ない気持ち。
特にいまはコロナで、
一時帰国も気軽にできないのでより怖いというか。
コロナ禍だから国内でも気軽には移動できないのは承知しているけど、
片道14時間、隔離あり、検査必須の場所にいるのと、
片道数時間以内でアクセスしようと思えば行けてしまう場所にいるのでは
やっぱり全く違いますよね…
もちろん、ある程度は覚悟して渡米したわけだけど、
もし日本にいたらもっと手伝ってあげられるのにな(´・ω・`)
留学帯同でしか得られなかったもの
客観的に描写するのがやや難しいのですが
頑張ってみます(^ω^ ;≡; ^ω^)
・英語で話す/生活する経験
日本にいたら間違いなくなかったであろう経験。
どこに行くにしても調べ物は英語でしないといけないし、
問い合わせも英語だし、
スーパーのチラシだって全部英語。
生活に揉まれていくうちに語彙も増えていくし、
具体的に「このくらい話せるようになりたい!」っていう
目標設定ができるようになったのは大きかった(`・ω・´)
ESOLの授業を取って日常的に英語を使う練習をしたり、
スーパーに返品したり、買い物楽しんだり…
レベルはまだまだ低いけど、
渡米直後に比べたらかなり話せるようになりました(`・ω・´)
日本では、日本語だけで生活できるもんなぁー。
これは当たり前のようで当たり前ではない。
(エチオピア人のクラスメイトに、
「自分の国で経営学について勉強するには、まず英語を習得しないといけなかった。」
と話されたときは、
いやほんとに、日本語でなんでも情報が手に入る日本って
相当成熟した国なんだよな、って改めて痛感しました。)
・自己肯定感と妙な自信
アメリカに来てから仕事や収入がなくなって
自己肯定感が下がってしまう方(特に主婦)は多いと思うんだけど
私の場合は逆だったというか(^ω^ ≡ ^ω^)
退職してこれまでと全く違う環境で生活してみたことで
案外うまくやっていけてるじゃん?っていう妙な自信が…
会社にいたころの自分は、優秀な同僚に圧倒されて、
やや気後れ&萎縮してしまっていた部分があります。
だってみんなタフなんだもん…
仮に自分の担当案件でトラブルが立て続けに起きても
「わたしは悪くない^^」って主張できる
強いメンタルの持ち主がごろごろいて、
ノリの良い陽キャもいっぱいいて、
なぜか美人と高身長男子が多かった…
わたし、ただの陰キャだったのでね…
そこまで気強くないし、
長年働いているうちに自分の外見にも自信がなくなっていったし
大学までに学んできたことにも自信がなくなっていったし…(文化が違いすぎた)
会社からしばらく離れてみて、気が楽になって、
いまは自分の見た目が割と好きで納得してるし
大学で学んだことへの誇りも取り戻したし(^ω^ ≡ ^ω^)
仕事は大好きだったし天職だったんだけど、
離れてみてよかったこともある、って感じ(^ω^ ≡ ^ω^)
・車の運転スキル
日本でも免許は持ってたけど…
わたしが住んでいるメリーランド州は全米では比較的都会のはずなんだけど、
最寄りのメトロの駅まで歩いたら50分くらいかかっちゃうし
バスも20分に一本くらいしかないし(しかも駅までの直通がない)
こういっちゃなんだが…まじで不便(^ω^ ≡ ^ω^)
自分で車を運転できれば、夫の都合がつかない日でも出かけられるので、
練習しました(`・ω・´)
・必要最低限の生活、貧困層としての暮らし
悲しいタイトルだな(^ω^; ≡; ^ω^)
たぶんほとんどの留学帯同(医療系も含め)のご家庭が
Federal Poverty Levelより低い水準の収入なんじゃないかと思います。
生活の余裕は家族構成や日本での貯蓄の有無にもよるので
一概には言えませんが…
嫌味に聞こえたらいやだなぁと思いつつ正直に書くと、
働いてた時はそれなりに収入があったから
無駄遣いもしちゃってたし、価値も分からず高いバッグ買ったりとか。
生活が苦しくなって、改めてお金の価値を再認識して、
「生きていくんだ…!」って決意がみなぎった、ような気がする。
・「アメリカ」を生きる強さ
漠然としてますが、1番はこれに尽きる。
日本とはまるで常識が違う…民度のばらつきが大きい。
決まってマリファナのにおいがするモール。
交差点の信号待ちの時間にお花を売りにくるおばさんやおじさん。
何回もリマインドがあった案内にも平気で質問するクラスメイト。
ウインカーを出さない車、出しっぱなしの車。
「ソースちょうだい」っていったら平気で20袋くらい入れてくるファストフード店。
「無糖の紅茶です。」と言ってめちゃくちゃ加糖の紅茶渡してくるファストフード店。
パッケージが破けて中身が出たまま陳列されたシリアル。
賞味期限を過ぎても平気で売られているにんじん。
まじで日本の常識では「えー」ってなることが日常茶飯事なのでつ…
この国で生きていくにはたぶん人種と人数が多過ぎて、
「もう最低限のことだけ(法律で決まってることだけ)守るようにしましょうね〜」
ってくらいじゃないとまとまらないようにできてるんだと思う…
自衛がとにかく大事。
何かを買うにも、病院にかかるにも、
ちゃんと何が必要で、どんなものを要求したいのかはっきりしてないといけない。
日本にいたら、病院は一律3割負担で済むし、
モラルの平均が高いからそもそも変なトラブルは起きないけど、
アメリカだと「これが必要」「こうしてほしい」「これが欲しい」って
自分からはっきり伝えないと何も起きない…
逆に、伝えることができれば案外すっと通ったりもする。
生活すること、生きることに意識的になれたのは
アメリカ生活のおかげかもしれないなーって最近思いました(/・ω・)/
まだ2年しか経ってないけどw
まとめ:2年で判断するのは早い
終わり!
頑張ってまとめてみたけど、どれも漠然としてて意味があったのかっていう(´・ω・`)
まぁまだ2年しか経ってないからね…
でも留学帯同をするか/しないか判断するにあたって、
この先数年の利益を優先するのではなく、
10年後、20年後への投資だって考えて決めたわけだから
この2年間の良し悪しでメリット・デメリットについて結論を出すのは
早過ぎますね(^ω^ ≡ ^ω^)
その答えが夫の就職のときにわかるのか、
それとも10年後なのか、
我が子が成人する頃なのか
死ぬ間際なのか…もうわかりましぇん(^ω^ ≡ ^ω^)
経済的にも精神的にもハードな帯同生活ですが
そこそこ楽しめているので
この先も楽観的に楽しんでいきたいと思います。
エンジョイアメリカ(`・ω・´)
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!
また次のブログでお会いしましょう(/・ω・)/